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マルディグラ2023


福岡ではここ数日の陽気で一気にソメイヨシノが咲きました。今日は花曇りです。


帰国した翌日は雪がちらつき,その後は暑いくらいの日々が続いたかと思えば寒の戻りがあったり、三寒四温でしたが、ほんとに急に本格的に春がやって来ました。

そして、気付けばマルディグラから1ヶ月が経とうとしています。


ジェンダーフリージャパニーズの皆さん、その節は本当にお世話になりました。

シドニーのすばらしい数日間の経験について僕は今ゆっくりと反芻しているところです.


同じ地球上で同じ時間を過ごしているのに、季節も違えば社会の雰囲気も違う。

違いすぎて別の世界の夢をみていたのかと思うほどです。



僕は今も自分のセクシュアリティについては限られた人にしか伝えていません。

物心ついたときから同じセクシュアリティの人にあったこともなくて、ずっと独りで生きていくものだと思っていました。

高校卒業後は、地元福岡から離れて、四国や関東にも住み、それぞれの土地で親しい人たちもできて、それなりに楽しい毎日ではありましたが、何かふとした時に淋しさを覚えるのでした。

もちろんずっと孤独に耐えて生きてきたわけではありません。たしかに小学生の時には、なよなよしていることをからかわれたりして、素の自分を出さないように気を付けるようになり、「なんか息をするのが苦しいなー」と思った時期もありましたが、それ以降はそれなりに楽しく生きてきました。


でもそれは、『ほんとうの自分は社会に受け容れられない存在だから、この社会で生きていくには自分の本当の気持ちを隠して振るまっていかなければならない』ということを無意識のうちに身に付けたのだと思います。

「世の中はこんなもんだ」という諦めの気持ちが根底にあり、心の安全装置が働いて本当の自分の気持ち、感情が意識にあがってこないよう息を潜めて生きるのが「普通」になっていたのだろうと思います。


振り返ってみると、どの年齢でも「この人好きだな」と思っても親しくなりすぎないように気をつけていました。

とにかく自分の所属するグループの中で、異質なものとしてはじき出されないように気を付けて生きてきたのです。これは、とても苦しくて淋しくて哀しいことだったのに、そんなことにも気付かなかった…気付けなかったのです。


ようやく気のおけない仲間ができたのは、ケータイを持つようになってからのことです。匿名性の高いSNSを始めたことで、同じセクシュアリティで同じ吹奏楽好きの人たちと繋がり気兼ねなくなんでも話せる仲間に出逢えました。

20代後半…世の中がミレニアムにわいていた年、

僕はやっと(こっそり…というのは変わらないけど)『そのままの自分でいてもいいのかもしれないな』と思えるようになりました。


その後、そのSNSで知り合った仲間たちが福岡市を拠点にセクシュアルマイノリティの吹奏楽団を立ち上げ、活動を始め数年後に僕もその楽団に入り演奏活動をするようになりました。

それを契機に楽団の有志と東京や大阪でのプライドパレードの先頭のブラスバンド隊で演奏したり、LGBTQI+の音楽イベントで演奏したりするようになり、全国に同じような楽団がいくつかあることも知りました。

この日本の社会にも、少ないとはいえ、かなりの仲間が存在することを実感するようになったのです。

その後、パートナーに出逢い今では一緒に楽団で吹いたり、アンサンブルを楽しんだりすることができるようになりました。



2020年、シドニーのLGBTQI+の合唱団SGLCの方々が来日して東京、福岡で公演をすることになりました。

そのとき、福岡で開かれる関係者だけのクローズドの演奏会に、地元のセクシュアルマイノリティの楽団ということで参加、交流の機会をいただきました。

声を掛けてくださったのが、今回もお世話になったアイ・ダヴリュー・エイ・ツアーのタイチさんでした。


外国の同じLGBTQI+の団体と交流するなんて初めてのことで戸惑いを覚えましたが、こんな機会はもうないかもしれないと思い、団員に説明をしその日に演奏する曲の練習を重ねました。

演奏会の当日、彼らの素晴らしい合唱に続き、僕たちも日本の歌として「さくらさくら」を緊張しながら演奏しました。

すると、彼らはなんと日本語で、しかも美しいハーモニーで応えてくれたのです!

曲目は伝えていましたが、ほとんどぶっつけ本番にもかかわらずです。その後の「恋するフォーチュンクッキー」(サッシー他の人々がが福岡の色々なところで踊っている動画があります。見てみてね(笑))も、団員と一緒に多くの方が踊ってくれ、音楽をなかだちとして文字通り言葉の壁を超えて繋がることができた瞬間でした。


これをキッカケに僕は今度はこちらからシドニーに行ってみたいと思うようになりました。彼らの暮らす国は一体どんな国なのか。日本よりもありのままで暮らしやすい社会とはきいてはいるけど、本当に実感する瞬間があるのだろうか。


それからしばらくして、シドニーに行くツアーを企画していることをタイチさんにききました。さらに、シドニーのSGLCのご好意で、日本から来る僕たちも合唱団の一員としてマルディグラに参加させてもらえるということをきき、マルディグラがどんなものかもよく分からないままに、「観る側ではなく参加する側になれるチャンスはなかなかなく、とてもすごいことだ」ときき、楽団から僕を含めて3人でツアーに申し込むことにしました。


こうして、(今回も参加された)筑紫女学園大学の方々と一緒に初めてのオーストラリア、初めてのシドニー、初めてのマルディグラを体験したのでした。

今思うと、新型コロナウィルスが世界的に蔓延する本当に直前、ぎりぎりの訪豪となり、これは奇跡的なタイミングだったと思います。

このときのツアーに参加したことでマルディグラがどれだけすごいものか知ることができました。この体験がなかったら今回の「コロナ明け」すぐの参加は決断できなかったかもしれません。残念ながら前回参加した団員二人は仕事の関係で海外渡航がまだ難しく断念しました。


……長い前振りにお付き合いいただきありがとうございました。

今回はこれまでに述べたいきさつがあっての参加でした。


マルディグラ参加は一度だけでも十分インパクトのある体験でしたが、今回はさらに前回と違う出逢いがあり…GFJのアヤカさんコウキくん、マサルさん、さとこさんをはじめとする皆さんと一緒にマルディグラに参加できたことで、たくさんの気付きがあったり、視野を広げることができたように思います。本当に有難いことでした。



日本でもここ数年で定着してきた「LGBT」ということばですが、その中身まできちんと理解されているかといえばまだまだのように思います。

僕のセクシュアリティは「G」で、団員に「L」の子がいたり、その繋がりで「T」の人と知り合いなるなどして、よくやく自分のセクシュアルティ以外の人のことも多少はイメージしたり考えたりすることができるようになりました。

しかし、考えることができるようになったとはいえ、人は十人十色。それぞれのセクシュアリティの人が自分の知り合いにいたとしても、それが全てではありません。性はグラデーションとも言われるし、自分の置かれた立場、境遇と異なる人のことを想像するのは容易なことではないと思います。


だからなおのこと、日本に住む多くのストレートの人たちは、実は身近に「LGBT」の人たちがいるかもしれないときいても、自分の周りには「存在しない」と思っていると、なかなかイメージ、意識することが難しいだろうなと思います。

最近は『そういう人たちが一定数いる』という認識は広まってきたものの、『自分は理解があるからだいじょうぶ』というところで思考が止まってしまい、それ以上想像したり関心を持つことは少ないように思います。


LGBTQ I+のみならず、障がい者、外国人など様々なマイノリティの人々を取り巻く問題について、少しでも自分にも関係することかもしれないと意識して考えていくような風土、環境を社会のみんなで整えていく必要があると僕は考えます。

そのためには子どもの頃からの「教育」も重要ですし、今いる大人たちにたいする働きかけも諦めずに続けていかないといけないと思います。


幸い(…といっていいのかわかりませんが)、差別の厳しい時代を経て今があるオーストラリアなどの諸センパイがたの国々の事例を参考にすればよい部分がたくさんあるのではないかと思います。

そっくりそのまま真似することはできなくても、日本のマイノリティをとりまく現状を、よりよくしていくためのヒントがあるのではないか。

それが何かを皆んなで考えていくことで、多様性に寛容な社会は、(巡りめぐって)実は自分にとっても誰にとっても暮らしやすい社会かもしれない…そういう未来への希望のようなものを、たくさんの人と共感できる機会があればいいなぁ、、、そう思う時、マルディグラこそ、それを叶える契機になりうるのでは!と考えます。


1度目の参加では、『オーストラリアだからできたことで、日本ではここまで社会を巻き込むことは到底無理だろう』という気持ちがありました。

多くの人が多様性を認める社会はあくまで別世界のことであって、今の自分の住む世界とは決して交わることのない並行世界のイメージでした。


ところが、2度目のマルディグラでは、日本から遠く離れたオーストラリアにも仲間がいて、それぞれ志を持って頑張っていることを知り、『自分の住んでいる世界も、皆んなで変えていこうとすれば、この世界へと繋げていくことができるのかもしれない』という一条の光、希望を感じることができました。


……こうして、書き連ねていると、かなり大袈裟な感じになりましたが、衝撃的な何かによってそう感じるようになったわけではありません。


GFJの皆さんと一緒にオペラハウスの前に集まり、日が暮れるまで踊りの練習をしたり、ご飯を食べながらお話ししたり、本番で車椅子を押しながら踊ったり、それにたいして沿道から温かい声援をいただいたり、終わって記念写真を撮ったりお互いにねぎらいあったりする中で、自然と、、ほんとに自然と、周りに気兼ねすることなく素直な気持ちで楽しんでいる自分に気付いたのです。

この感覚は、同じセクシュアリティの吹奏楽の仲間ができたときにホッとしたときの感じと似ているなと思いましたが、あの時は変わりようのない世界の中にも同じ仲間がいて、そこでは楽に息ができるなぁと安堵を覚えたというレベルでした。


それにたいして、今回は多様な背景をもった人々がお互いの違いを認め合い、その中で共通に守るべきルールをつくり、より生きやすい社会になるように努力している世界が実際にあり、その世界の空気を吸うことで初めて『大多数の「普通」の人はどこでも息を潜めることなくこんなに楽に呼吸をして生きているんだ!』と気付き、しみじみと感じることができました。


GFJの皆さんをはじめ、今回同じく日本から参加された方々と一緒にマルディグラに出られたことに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございました。


福岡に戻り、また元の世界で暮らしていますが、帰国と同時にレインボーグッズを外して、「普通」の人のフリをしている自分に気付きます。

パートナーにも他の団員へも体験したことを言葉を尽くしたところで、うまく伝えることができていません。まだまだそんな情けない僕です(苦笑)


でも、また機会があればそちらに行って、どうすれば他の人に伝えることができるのか考えていきたいと思います。

本当にありがとうございました。


長々と書き連ねてしまいすみませんでした。

ここまで読んでくださった方に感謝申し上げます。


三月終わりの花曇りの日にやっと書き終わる

HAL




 
 
 

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